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鉱山のビッグバンド

著者:小田豊
発行元:白水社

 

目次

はじめに
序章 カミオカンデ
第一章 夢か、栃洞
第二章 孤高の人
第三章 人生のスラローム
第四章 あんちゃん
第五章 合同結婚式
第六章 乙女の祈り
第七章 天空のダンスパーティー
第八章 哀しきサキソフォン
終章 光と影

 

感想

最近、個人的にジャズや、ブラスバンドにハマっておりまして、そんな本を片っ端から読んでいるわけです。
で、手にとった本書。「鉱山」と書いて「やま」と読む。
鉱山が舞台になった音楽系の話と言ったら、常磐炭田が舞台になった「フラガール」が有名ですが、ここに書かれている内容も「フラガール」に負けず劣らない、喜びと感動と悲しみに溢れていたりします。

 

舞台は北アルプス富山湾に流れる神通川の上流にある神岡鉱山。鉱山というよりも、今はヒッグス粒子や、ニュートリノの研究機関であるカミオカンデや、スーパーカミオカンデが有名ですね。カミオカンデや、スーパーカミオカンデのカミオカは神岡鉱山のこと。その昔、亜鉛や、鉛の鉱山として栄えていた場所に、カミオカンデができたのですね。硬い地盤の中に掘られた坑道。垂直に掘り進めなくとも、水平に掘り進めた坑道であっても、その上には北アルプスが存在するので、深度1000メートルと同じ世界。そんな世界にできた、カミオカンデスーパーカミオカンデ

 

そして、カミオカンデスーパーカミオカンデができる前、そこは三井金属鉱山が管理する、東洋一の鉱山だったのです、と。

そんな鉱山の繁栄と歩みを合わせるように登場したのが、神岡マイン・ニュー・アンサンブル。神岡鉱山で働く人々もビッグバンド。そして、このバンドは鉱山で働く人たちのための福利厚生ということで生まれたバンドではないというところがキモ。鉱山で働く若者たちが、学生時代に、地元の土地保多中学時代に身に着けた演奏力をベースに、神岡マイン・ニュー・アンサンブルは作られていたのだ。

 

東洋一と言われた鉱山、神岡鉱山を支える集落は、天空の楽園と呼ばれていた。日本中から腕の良い鉱山師を集めるために、整備された住宅は、都会の住宅以上に豪華だった。水洗トイレは完備だし、テレビだって各家庭にあった。そんな集落の中学校の吹奏楽部がベースになって作られたのが神岡マイン・ニュー・アンサンブルなのである。

 

なので、吹奏楽部の練習方法も記載されていたりする。

 

最初は全員、決めてもらったそれぞれの楽器で、一日じゅうロングトーンの練習をさせられ、唇は腫れ上がり、その痛みは家に帰っても消えなかった。それができると、音の強弱の練習。最初は強く太く、最後は弱く長く。そして、それから、ドレミファソラシドの音階に移った。この基礎練習は、その後、ブラスバンド部の基本練習になった。

とな。

 

スウィングガールズ」の「ジャズやるべ」じゃないけれど、学生が主体になって生まれたバンド。中卒・高卒の若者たちが作ったバンドは、若く、かっこよかった。ただ、スウィングガールズと違うのは、学校卒業後にも話が続くということ。神岡鉱山に就職し、昼間、地中深く潜り、亜鉛や、鉛の採掘をしている人々が、バンドマンとして活躍するのだ。

 

本職、鉱山師。副業バンドマン。

 

当時、東京にまで名前が知れ渡っていた神岡マイン・ニュー・アンサンブルの名前が、21世紀に語り継がれていない理由はここにある。最高レベルの演奏を聞かせるバンドマンも、本職は神岡鉱山に務めるサラリーマンなのだ。ナベプロを設立した渡邉晋さんがバンドマンから会社を起こしたように、米軍キャンプを回っていたハナ肇が職業バンドとして「ハナ肇とクレージーキャッツ」を軌道に載せたようなことはしなかったのだ。

 

ちなみに、当時、バンドやるとどれだけ儲かるのか?の記述も本書にあった。

 

そこでGHQは、ライセンスを発行し、ミュージシャンの実力に応じた適正な出演料を定めたのである。
昭和二十二年七月、その格付審査委員会による最初のオーディションが実施され、全国主要都市の約200のバンドが審査を受け、「S・A」「S・B」「A」「B」「C」「D」に分けられたと言われている。
ちなみに、そのギャラは「S・A」は、最初の一時間の演奏料がひとりあたり380円、1時間延長ごとに110円が上乗せされた。よりわかりやすく言えば、一ヶ月のうち25日間、1日1時間演奏すると、一人が手にする月収は9500円であった。昭和23年度の公務員の初任給が2300円だということを考えると、かなりの優遇である。たとえ「D]クラスのバンドマンであっても、月収は2700円を超えたというから。いい稼ぎである。

 

百倍すると貨幣価値が今と同等になるので…そりゃ、バンドマンになりますね、と。

 

ただ、そんな神岡マイン・ニュー・アンサンブルも、日本における鉱山の地位低下により、徐々に勢いがなくなっていった。そして、大きな転機となったのがイタイイタイ病と、オイルショックであった。

 

神通川上流にある神岡鉱山からは、イタイイタイ病の原因物質となるカドミウムが垂れ流されていたのだ。そんなイタイイタイ病公害病第一号として認定された頃、神岡マイン・ニュー・アンサンブルは、最も人気を集めていたのであった。

 

歴史のいたずらといいますか、なんといいますか、皆に知られていない歴史の1ページに埋もれ冴えるのがあまりにももったいないお話。このまま映画になってもおかしくないような実話です。が、実話だからこそ、「忘れて欲しい」と思っている人もいるのかもしれませんね。そう考えると切なくなります。

 

 

鉱山のビッグバンド

鉱山のビッグバンド