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1974年のサマークリスマス―林美雄とパックインミュージックの時代

著者:柳澤健
発売元:集英社

 

目次

1 夜明け前に見る夢
2 「林パック」誕生
3 深夜の王国
4 夏もおしまい

 

感想

 

サブタイトルは「林美雄とパックンインミュージックの時代」ですね。著者は「1985年のクラッシュギャルズ」や「1976年のアントニオ猪木」の柳澤健。ドキュメンタリーの人気作家が手掛ける伝説の深夜番組の話が面白くないわけがない。

 

本書を読んで知った衝撃の事実は2つ。

 

一つは「ラジオギャング」が林美雄が仕掛けた番組であるということ。

もう一つは、ビートたけしがTBSのオーディションを受けて、落ちていたということ。落ちていたから「ビートたけしオールナイトニッポン」が始まったのよね。

 

1960年代から70年代のラジオといったら、カウンターカルチャーの代名詞だったんだよねぇ。娯楽の王様であった映画に、新興勢力であったテレビ。その2大勢力に押されぎみだったラジオは、どんどんどんどんカウンターカルチャーの色合いが強くなっていった。

 

特にろくすっぽスポンサーのつかない二部深夜帯、つまり27時以降なんて、とくにそうだった。そんな時代の色を思いっきり反映していたのが林美雄の番組だったのいね。同期同世代の久米宏小島一慶が左寄りなのも、そんな時代状況でラジオをしていたのだから、理解できる。

 

でも、カウンターカルチャーが力を持ちすぎ、カウンターではなくなってしまった。メジャーになってしまったカウンターカルチャーのカウンターがビートたけしだったわけよね。

 

この新陳代謝に一回失敗してしまったのがTBS。その後、深夜放送の主役はビートたけしを有するニッポン放送に替わってしまう。タレント、アイドル、芸人、役者、それに局アナ。ニッポン放送は上手にパーソナリティーの切り替えと育成を行っていった。

 

ビートたけしが人気絶頂になると、大阪で人気を集めていた劇団の役者、古田新太を後釜に抜擢。今やラジオ界のレジェンドとなっている伊集院光の育成も開始していたしね。林美雄が最初にラジオで取り上げて人気に火をつけた荒井由美こと今の松任谷由実がパーソナリティーを勤めたのもオールナイトニッポンだ。辻仁成、鴻上昇二、電気グルーヴ大槻ケンヂ福山雅治、ナインティーナイン、様々な有名ラジオパーソナリティーを産み出したのもオールナイトニッポンだった。

 

でも、それは1990年代まで。

 

FM各局が力を持ち始め、有楽町からお台場に引っ越し、ニッポン放送が勘違いをし始めたために、また、大きな政権交代

 

伊集院光の赤坂、TBSへの移籍。

 

FMで絶大なる人気を誇っていた玉川みさにも帯番組を持たすなどTBSは、一気に復活。

 

でも、この時すでに林美雄の魂はあの世に。若者の代弁者で、文字通りカウンターカルチャーを伝え、体現していたラジオの伝説は、すでにこの世にいないのだ。

 

パーソナリティーとしても、ラジオアナウンサーとしても、プロデューサーとしても稀有なセンスを持っていた林美雄がこの世にまだいたら。ラジコというアプリのお陰で、時間も地域も関係なきくラジオ番組を放送できるようになったいま、どんな番組を作ってくれるのか?それが知りたくてしぃうがなくなる本です。

 

晩年のビートたけしオールナイトニッポンを聞き、伊集院光とともに深夜放送を過ごしてきた人間にはたまらない本ですわな。