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マンガ「グラゼニ」が大好きな、ウェブ系の何でも屋さん「カンマニ」が綴る、仕事とか、読んだ本のこととか、日常とか、世の中に関する忘備録。

ワンカップ大関は、なぜ、トップを走り続けることができるのか?

 

編者:ダイヤモンド・ビジネス企画
発売元:ダイヤモンド社

 

目次


序章 優れたイノベーションは新たなマーケティング戦略を生み、やがてそれは文化となる
第一章 進化を続ける日本酒の最先端へ 勇気あるイノベーションの幕開け〜挑戦という名の商品開発
第二章 「ワンコップ」やない、「ワンカップ」や! 魁のマーケティングが創った新市場
第三章 「何や、この在庫の山は!」 楽しみ方を売る。日本酒の新たな世界を開拓
第四章 「立ち止まったらあかん!」 大ヒット商品ページを背負った次世代の苦闘
第五章 受け継がれる、不断のイノベーション ワンカップ五〇周年から、新たな提案へ
終章 ワンカップ大関は、なぜ、トップを走り続けることができるのか? 著名人に聞く『ワンカップ大関』の功罪

 

感想

ワンカップ大関と言えば、「そのまま飲めるお酒」とか「酒呑みが好むどこでも飲める酒」とか「おっさんが飲むもの」とか、自分もすでにおっさんなのに、思ってしまうわけですよ。

 

なんで、そう思ってしまうかといえば、子供の頃、長距離の電車、それこそ特急とか、新幹線とかに乗ると、おじさんたちが飲んでいたからなんですよね。ワンカップ大関。子供心に「おじさんたち」と言っていますが、今から30年以上も前の出来事ですから、たぶん、確実に今のワタシのほうがおじさんなんでしょうけれど。

 

おじさんが遠くに行く電車の中で飲むお酒。

 

生まれたときからワンカップ大関が存在していたわけですから、ワンカップ大関ネイティブにとって、「それは普通でしょ?」って話なんですが、実はそうではないんですよね。「そのまま飲める」「どこでも飲める」というのは、ものすごいイノベーティブなことだったと。

 

日本酒というのは一般的に、一升瓶や、四合瓶、少ない単位でも二号瓶で販売されておりました。一升瓶であれば王冠ですし、四合瓶であればスクリューキャップだった。そんな瓶に入った状態の日本酒を徳利に次いだり、コップに注いで飲んだりしていた。

ちなみに、「コップ酒」というのは、それまでは「のんべぇのおっさんが、アルコールを流し込むために、コップで日本酒を飲んでいた」くらいのイメージで、あまりマナーがよろしいとは言われていなかった、と。なぜならば、日本酒は熱燗で飲むことが一般的だったから。へ~ですよ。へ~。地酒ブームで、日本酒はひや、もしくは冷酒で飲むのがおつだと、現在では言われているのに。

 

そーいえば、昔は日本酒が特級・一級・二級って分類だったしなぁ。

 

そんな時代に、大関は特級もしくは一級の日本酒しか作らない酒蔵であった。そして、高度経済成長期を迎えようとしている昭和30年代、ウィスキーや、ビールの人気に押され、日本酒のシェアは伸び悩んでいた。

 

そんな状況下で革命的な商品として生み出されたのが、ワンカップ大関であると。

 

市場もない。需要もない。だから、市場も、需要も作ってしまいました、と。

 

日本酒は熱燗で、徳利とおちょこで飲むもの。
コップ酒は飲ん兵衛ぇがアルコールを流し込むための手段。だから、味は問わない。

 

そこに特級と一級しか作っていない大関が、いつでもどこでもそのまま、ひやで日本酒を飲めるようにコップに入った酒を売る。

 

そりゃ、現状を否定しすぎる商品だから、既存のマーケットには売れないよね。

 

だから、ターゲットを若者とした。

缶ビールの登場が昭和33年だから、そこを意識したっていうのもあるのでしょうね。

昭和30年代から40年代にかけては缶ビールや、ワンカップ大関のほか、世界初の即席麺「チキンラーメン」(1958年)、世界初の即席カップ麺「カップヌードル」(1966年)、世界初の市販レトルト食品「ボンカレー」(1968年)と、その後の食卓を形付けるような革命が次千木と起こっていたんですな。

 

今となってはふつー過ぎるワンカップ大関の、そのチャレンジ精神に、ただただ感動するだけでございます。

 

 

 

ワンカップ大関は、なぜ、トップを走り続けることができるのか?---日本酒の歴史を変えたマーケティング戦略

ワンカップ大関は、なぜ、トップを走り続けることができるのか?---日本酒の歴史を変えたマーケティング戦略