著者:逢坂冬馬
発売元:早川書房
歌われなかった海賊へのまとめ
『同士少女よ、敵を撃て』で第11回アガサ・クリスティー賞を受賞した著者の最新作。今作品の舞台は第二次世界大戦末期のドイツ。ナチスにより支配されたドイツの田舎町で繰り広げられる物語。21世紀の日常から、約80年前の日常を振り返る。戦後の基準、21世紀の基準であればナチスが行ったことは紛うことなき戦争犯罪。しかし、当時のドイツにあってはそれが日常であった。そんな日常に盲目的に従う人、おかしいことだと気付きつつも表面的に従う者、ナチスに対して具体的に反抗する者、そして、ナチスの時代に生まれた人。全体主義であっても人の心と考えは、なかなか統制できない。統制されない少年少女が目指したのは、無目的なナチスへの反抗だった。ナチスという記号を外せば、21世紀の今であっても変わらない。読後、その事に気が付き、心が震える。
歌われなかった海賊へを読んだ理由
『少女同士よ、敵を撃て』が面白かったので
歌われなかった海賊へで仕事に活かせるポイント
自分は自分に嘘をついて生きるべきなのか?
歌われなかった海賊への感想
物語の舞台は21世紀のドイツと1944年から1945年にかけてのドイツ。時代は異なるが、場所は同じ。21世紀に生きる若者と大人と老人が過去を振り返るところから始まる。
大人と子供。この関係性こそ、この物語の大きな柱となる。ナチス政権時代のドイツだ。ほとんどの大人は、ナチスの行いを素晴らしいものだとは信じていないが、生活のために仕方なく従っている。そんな大人を見て、大人についていく子供もいれば、そんな大人に反発する子供もいる。
「そうだよね〜わかるわ~」と思いながら、読み進める。大人と子供という対立軸の他に子供と子供という対立軸が登場する。ヒトラー・ユーゲントだ。ナチスのイデオロギーを信じるヒトラーに仕える初年兵だ。当時のドイツでは少年少女がヒトラー・ユーゲントに参加することが義務づけられていた。しかし、参加できない少年少女もいたのだ。それは、ユダヤ人であり、ロマ人であり、素行不良なドイツ人だ。
主人公の一人は、ここ含まれる。素行不良のドイツ人の少年が、仲間と共にナチスに反抗する。そんな仲間たちを海賊団と呼んでいた。だから、このタイトルなのだ。
でも、ヒトラー・ユーゲントに参加していないのは、素行不良でユーゲントから追放されたその少年だけ。他のメンバーは、なぜ、海賊団に参加して、ナチスに反抗するのだ?
その少年と同じような疑問を抱きながら読み進める。そして、その少年とと同じように、ヒトラー・ユーゲントに従い、皆で同じように行動をする青少年に対しても嫌悪感を抱くようになる。嫌悪感を抱くようになるのは、ユーゲントに所属し、盲目的にナチズムを信じる青少年だけでなくなるんだけどね。それは読んでからのお楽しみね。
そこそこ分厚い本なのに、一気に読み切ってしまいたくなる面白さがある。まぁ、実際に読み切ったんだけどね。一気に読み切って感じたことは「これって、21世紀の日本を包む空気に対する警告だよね」ってこと。日本の野党を支持する大人たちは何も知らない子供たちを政治活動の場に引っ張り出し、型にはまった抗議活動を子供たちに強いる。自由に振る舞っていいですよ、と言われるのはある一定の範囲だけ。しかし、その範囲は日に日に狭くなっていく。このままだと駄目になると思いながらも、空気に流され、何もしない。いや、目立たない場所で批判だけをする。「こんなのおかしいだろ!」って、すべてを壊そうとする、それこそ尾崎豊の曲に出てくるような若者が、21世紀にも登場するだろうね。そんなことを作者は伝えたいんだろうな、と思ってくるわけです。
いやはや、面白いだけの本ではない。名作ですよ。
タイトル:歌われなかった海賊へ
著者:逢坂冬馬
発売元:早川書房