著者:松田行正
発行元:左右社
目次
序 ヒトラーのデザイン
第一章 ファッション
第二章 デザイン
第三章 グラフィック
コラム 四角いコロッセオと映画
第四章 イミテーション
コラム ルーン文字の記号
第五章 ハーケンクロイツ
第六章 ライン
付録 ハーケンクロイツ的シンボル群/映画の中のシンボルマーク
おわりに
感想
世界中で誰かが定期的に間違えて使用してしまうナチスのデザイン。ネオナチやら、極右な方々以外がフツーに使ってしまう、現実。BTSとか、乃木坂とか、古くはサカモト教授が属するYMOだって利用してたんだぜ。
そして、高須センセがたまにツイートするように、ナチス以前というか、第二次対戦のドイツの医療が現代に及ぼす影響。
触れてもいけない、なかったことになっている話だけれど、ナチスというのは、ヒトラーの政策というのは、とりあえず、ドイツ国内の正式な手続きを踏んで登場した話なわけでね。
ヒトラーを忌み嫌う前に、「なぜに、ヒトラーはドイツ国内の支持を得ることができたのか?」ということを知りたくなったので、この本を読んでみた。
ヒトラーが元売れない画家だということは知られているけれど、そんなヒトラーだからこそ、見た目のわかりやすさを追求することかできた、と。
それは鍵十字のデザイン1つとっても同じである。
ちなみに5ページにはこんな記載がある。
デザインという仕事の八、九割は「選択」することだと考えると、ヒトラーは、絶妙の選択をしたことになる。そして、そこに一工夫を加えた。それは、カギ十字を四十五度傾けたこと。たかがこれだけなのに、この組み合わせは完璧な均衡を保った。
グラフィック・デザイナーの亀有雄策さんが、1964年の東京オリンピックのポスターで日の丸を使い、世界的に絶賛され、日本がデザイン先進国の仲間入りをしたことは有名な話。このヒトラーによる組み合わせはそれに通じるデザイン的な緊張感があった。
ヒトラー≒ナチスをもっともわかりやすく説明するハーケンクロイツ、そのデザイン1つにも、目につく・心に残る・かっこいいという情報がこめられていたのだ、と。
このデザイン的なわかりやすさに加えられたのが、編集的な要素である、と。
その話は14ページ&15ページに、このように記載れている。
人と人とのコミュニケーションの間には常に「編集」的考え方がある、とかたっている。たとえば、全く関係なさそうな二つの事項に関連を見つけるときに編集的センスは発揮される。(中略)こうした編集的な見方でヒトラーを評せば、ヒトラーは稀代の編集者、ということになりそうだ。忘れられた過去の遺物を再発掘し、再編集、つまりアレンジして過去とつながっているかのように演出して見せる。(中略)多様性が全くない世界は、編集の精神とかけ離れているが、ひとつのところに誘導するのも編集である。プロパガンダという手法こそ編集の最たるものだ。
ドイツ人≒アーリア人の優位性を語るには、それ以外の民族が劣っていると説明しなければならない。そこの対比に使われたのがユダヤ人であった、と。
世界的にユダヤ人を嫌う空気があった中で、それをうまく利用した。さらに、「オマエはユダヤ人だ」ということをわかりやすくするために、デザインを利用した。
それだけではない。アーリア人の優位性を保つために、アーリア人ではない人間とアーリア人である人間を区別をはっきりと行おうとした。それが、人間の見た目であり、その見た目を保つために医学の分野が発展した。
そして、その優位性は太古の昔から伝わるものだということで、神話やオカルトまでも利用した。
世界で最も優秀なアーリア人ということを証明するには、世界の他の民族が劣っている必要がある。そして、正しい「アーリア人」を定義する必要があった。
そうであるものと、そうでないもの。はっきりとわかりやすくラベリングして、それを「カッコいいものだ」と認識させるデザインで夜に知らしめる。
単純化された情報は人の思考力を奪い、見た目のかっこよさに左右されて、ヒトは行動してしまう。
そりゃあ、ヒトラーは、合法的に独裁的な権力を手に入れたものだよな。
ナチスのプロパガンダについて、いろいろ調べたくなりましたな、