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添野義ニ 極真鎮魂歌 大山倍達外伝

著者:小島一志
発行元:新潮社

 

目次

はじめに 小島一志
序章 別れ
第一章 大山倍達との出逢い
第二章 キックボクシング参戦
第三章 第一回全日本大会と梶原一騎
第四章 世界大会と武道館問題、そして少林寺襲撃事件
第五章 幻のクーデター計画
第六章 映画を巡る大山と梶原の確執
第七章 「プロ空手」への渇望と挫折
第八章 ウィリーの暴走劇とプロレスへの接近
第九章 ウィリー猪木戦、地に墜ちた極真との決別
終章 されど、いまだ道半ば
おわりに 小島一志

 

感想

著者は「月刊空手道」や「月刊武道空手」、「極真空手」の編集や、編集長を勤めた人物。いわば、空手業界のナカノヒト。

 

そして、添野義ニは士道会館の館長であり、元極真空手の重鎮。喧嘩十段の芦原英幸と共に「空手バカ一代」に登場した空手家ですね。
極真空手家の添野義二は、なぜ、士道会館という別団体を立ち上げたのか?

 

そこに迫るルポルタージュ

 

それ以上に、人間の業というか、欲望というか、そういうものに取り憑かれてしまった人間の怖さがよく分かる1冊ですな。

 

人間という生き物は金と権力と力に狂ってしまうのだな、と。

 

極真会館を作り上げた大山倍達自身も、かなり金と権力と力に狂ってしまったわけですが、その後を継いだ人々は、もっと狂ってしまった、と。それは分裂につぐ分裂騒動でおかしなラーメン屋の屋号状態になった各団体をみればわかる。

 

金と権力と力に狂わないようにするためには、自分をしっかり持つことだな、と。
大山倍達の弟子であっても、自分を強くハッキリと持っていた人間は、裏切り者と罵られても、自分を見失うことなく、地に足の着いた生活を続けている(続けていた)。逆に、ゴッドハンド・マス大山に心酔してしまった人間は、どんどんどん自分を見失い、大山倍達の駒として使われていくことになる。

 

ある意味カルト教団の熱狂的な信者となり、教団の教えに従って殉教してしまうような人間であれば、それほど害悪はない。一番の害悪は、教祖様の部下として日々を過ごしていながら、教祖様亡き後のことを、虎視眈々と考え、用意し、準備しているような人だな、と。

 

カルト教団のような金と権力と力で信者をコントロールする組織になるのか?それとも、組織という仕組みが機能するように整える、そんな組織になるのか?分水嶺を超えてしまうと一気に、組織はどちら香川に転がっていってしまうのだなということがよく分かる。べつに、宗教団体だけがカルト集団になるわけでないし、宗教団体や、スポーツ団体だって、株式会社のような機能を持ってしまったりするのだから、わからないよな、と。

 

このような話を歴史の流れとともに教えてくれるのが本書である。
1964年の東京オリンピックで柔道が採用されたことで、日本中に柔道ブームが訪れた。添野自身も、最初に触れた武道は柔道だった。
その後、「柔道よりも喧嘩に使える実践的な武道」ということで、空手に目をつける。が、その頃はまだ、極真空手なんか知っている人は、ごく少数のマイナー武道だった。空手といえば寸止め。フルコンタクト空手邪道なプロレス空手。アメリカでプロレスラーとしても活躍していた大山倍達極真空手は色物扱いされていた。

 

色物扱いしていたのは寸止め空手のほう。その親玉は、一日一善の笹川良一。日本の黒幕として動いていた笹川良一は、日本の武道を自分の支配下に収めようとしていた。さすが、ファシスト

 

そんな笹川会長と戦い続けていたのが大山倍達

 

まぁ、単なる勢力争いかと思って読み進めていたのですが、なんと!日本武道館も支配に置く笹川会長は、当初、極真空手に武道館を貸さなかったのだと。その理由を「大山倍達は日本人じゃないから」という武道館サイド。

 

そりゃ、ないだろうと。大山倍達朝鮮半島の出身だけど、大山倍達が生まれた頃、朝鮮半島は日本だったんだよ?なんだ、その理由、としばし憤る。

 

こんな状況であっても、大山倍達はめげずに邁進する。見つけた武器がキックボクシングで、仲間にしたのは梶原兄弟。キックの鬼といわれた沢村忠八百長を見抜き、キックの人気と空手家の破壊力をかけ合わせ、キックボクシングの興行を思いつく。その興行を任され、キックボクシングのジムも任されたのが、添野であった。

 

しかし、何故、極真会館がキックボクシングに参入しないのか?それは極真空手は武道であり、アマチュアだから。プロの興行とは相容れないというダンディズム。

 

いや、そんなことないのだけどね。マス大山はお金儲けしたいから、キックボクシングに参入したのだけどね、と。

 

金儲けと武道。興行と修行。フルコンタクトと寸止め。

この対立軸に梶原兄弟というエッセンスが加わる。

 

ビジネスマンとして能力が上だったのは、大人気マンガの原作を何本も生み出す梶原兄弟というか、梶原一騎だったのよね。極真空手を皆が知るメジャーな武道に育て上げたのは、大山館長の力だけでなく、「空手バカ一代」の力もあったわけで。ドンドンドン欲に溺れ、欲に狂う大山倍達と、それを冷静に見つめる梶原一騎。ビジネス上での付き合いだけは、淡々とこなしていく。猪木とのプロレスだって、ウィリー・ウイリアムスとの異種格闘技戦だって、そこに梶原兄弟はいた。

 

そんな梶原兄弟が自分を陥れようとしていると思い込み、梶原兄弟を非難する大山倍達。それを冷静に見つめる添野義ニ。どんな親でも、親は親だと師匠てある大山倍達を支えていた添野であったが、ついに大山倍達を見限ってしまう。

 

そして、添野は極真会館から破門を受ける。

 

その後、キックボクシングと空手の両方を教える士道会館を設立。これは同じく破門され、四国に帰り実践空手サバキを生み出した芦原と同じような流れである。

 

空手って、フルコンタクトであっても顔面打ちはしないのよね。たがら、見切ることもなく、ガードすることもなく、受けてしまう。
それが空手家がK1で活躍できなかった理由。

 

格闘技という言葉は、まだ、マニアックなもので、実践的なやり取りと言ったらボクシング、キックボクシング、極真空手のようなフルコンタクト空手など数えるほどしかなかった時代であればよかったのよね。

 

その世界であれば極真空手はトップでいられたから。

 

しかし、そんな時代は永遠に続かなかった。K1が登場し、大人気となった。そこに空手家を、それもキックボクシングの訓練を充分に積ませていない空手家を送り込んだのが、極真会館二代目館長の松井であった。

 

日本における格闘技ブームの変遷と、格闘技ブーム&プロレスブームの裏側がよくわかる。この内容が100 %事実かどーかはわからないが、かなり真実度は高いのでないかと思われる。

 

添野義二 極真鎮魂歌: 大山倍達外伝

添野義二 極真鎮魂歌: 大山倍達外伝