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1964年のジャイアント馬場

著者:柳澤健
発行元:双葉社

 

1964年のジャイアント馬場のまとめ

日本におけるプロレスの父は、力道山。日本にアメリカから本物のプロレスを輸入してきたのはジャイアント馬場。そして、日本でプロレスを新世代のエンターテイメントに昇華させたのがアントニオ猪木。おなじ力道山を師匠に持ちながら、それぞれ独自の道を歩んでいった猪木と馬場。日本プロレスを取り巻く様々な思惑、様々な大人の状況によって、二人はそれぞれ違う道を歩んでいくことになったのだが。結局、馬場と猪木がそれぞれ別の道を歩むことで、日本はプロレス・格闘技王国担ったんだなぁと。日本プロレスのまま、BI砲のまま、馬場と猪木が同じ団体に所属し、グレート東郷や、ユセフ・トルコが活躍するプロレスであったら、今のような反映はなかったんだろうな、と思うわけですよ。

 

1964年のジャイアント馬場を読んだ理由

猪木について読んだら、次は、馬場について読むわけですよ。

 

1964年のジャイアント馬場で仕事に活かせるポイント

無能な人間ほど嫉妬深く、有能な人間を排除するということですな。あと、潜在的な願望を刺激すれば、人はどんなものでも信じる、と。

 

1964年のジャイアント馬場の目次

序章 力道山の後継者
第1章 白球の青春
第2章 創造主・力道山
第3章 アメリカンプロレスの洗礼
第4章 NWA世界ヘビー級王者の物語
第5章 憧れのバディ・ロジャース
第6章 憎き東洋の大巨人
第7章 ジェラシーの一時帰国
第8章 三大世界タイトル連続挑戦
第9章 猪木の逆襲
第10章 人を使う苦しみ
第11章 時代遅れの考え
第12章 優しい神様

 

1964年のジャイアント馬場の感想

ジャイアント馬場といえば、全日本プロレスの社長にしてトップレスラー。元読売巨人軍の投手で、怪我のためプロ野球を引退。その後、力道山が率いる日本プロレスに入門する。

プロレスにそれほど詳しくなくとも、30代以降の男性なら、みんな知っているお話。それくらいプロレスが身近にあったのですよね。そして、多くの男子は猪木派か、馬場派に分かれたわけですよ。「いや、おれはUインター派」だとか「国際プロレスだよやっぱ」という人もいるかもしれませんが。

そんな話につながるのが、本書。

1964年になにがあったのか?馬場は東京オリンピックに出場したっけ?なんて思ってしまうわけですが、そうじゃないのです。

猪木よりも先に、1961年からアメリカ修行を行っていたジャイアント馬場。日本人イコール小さくて卑怯というイメージを覆す大きさで、アメリカではヒールとして大活躍。全米各地の有力プロモーターから声がかかるほどの人気を得ていたのですな。で、1964年にはルー・テーズとNWA、ブルーノ・サンマルチノWWWFフレッド・ブラッシーWWA、と3連続でタイトルマッチを行っていたのですな。プロレスの本場アメリカで、師匠の力道山ですらなし得なかった偉業を、馬場はやってのけたのです。

が、これには裏があった、と。

日本のプロレス王・力道山は1963年の12月に亡くなっており、日本プロレスではお家騒動が起きていた。この騒動に馬場が巻き込まれないわけがなく、騒動の余波が三大世界王座への連続挑戦になったというのです。

この時、馬場が日本を選ばず、アメリカを選んでいたら、その後の日本のプロレス界は大きく変わっていたんだろうな。そう思う一方、真面目で、山っ気のあまりない馬場は、この時の成功体験にとらわれてしまったのだろうな、とも思うわけですよ。

でかいチャンピオンが、異国からのでかい挑戦者と戦うのがプロレスである。

古き良きプロレス観に、馬場は囚われすぎたんだろうな、とおもうわけですよ。

 

 

タイトル:1964年のジャイアント馬場
著者:柳澤健
発行元:双葉社