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デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか 労働力余剰と人類の富

著者:ライアン・エイヴェント
訳者:月谷真紀
発行元:東洋経済新報社

 

まとめ

過激なタイトルで、少し暗めな内容になっているのですが、この本に書かれていることは「親類が進化することで、様々なハレーションが起きる」ってことなんですな。いま、取り上げるべきはデジタルエコノミーですが、〇〇エコノミーが、過去300年間、様々なハレーションを起こしてきたのですよと。

 

この本を読んだ目的

「デジタルエコノミーが…」と言われてしまったら、デジタルの世界でどっぷりと仕事をしている身としては、読まなくてはならない本ですよね。

 

目次

第一部 デジタル革命と労働力の余剰
第1章 汎用テクノロジー
第2章 労働力の供給過剰をマネジメントする
第3章 もっと良い働き口を探して
第2部 デジタルエコノミーの力学
第4章 希少性という利点
第5章 情報処理する有機体としての企業
第6章 21世紀のソーシャル・キャピタル
第3部 デジタルエコノミーが道を誤るとき
第7章 1%の人々限定の場所
第8章 ハイパーグローバリゼーションと発展しない世界
第9章 長期停滞という厄災
第4部 余剰から反映へ
第10章 賃上げがなぜ経済的に実現しにくいのか
第11章 労働力余剰時代の政治
第12章 人類の富

 

感想

すごく過激なタイトルで、地球温暖化を心配している北欧の女の子が語るような内容が書かれているのかしら?と思ってよみはじめたのですが、そんなことはなかったです。

 

この本、一言でいえば人類の進化と、その矛盾を教えてくれる本ですね。進化には光と影がかならずある世界。光ばかりに目を向けるのではなくて、ちゃんと影の部分にも目を向けましょううよね、ということを教えてくれる本なのだ。

 

そして、べつに、いきなりデジタルな時代で発生した話じゃないんだよと。デジタルの時代だからこそ難しいことはあるのだけれど、だからといって特別なことじゃないんだよ、と。GAFAを目の敵にしているけれど、そこを目の敵にしても、別にいいこと無いんだよ。でも、目の敵にしたくなっちゃう、その気持はわかるけれどね。

 

ということが、この本の柱だと、わたしは理解した!

 

石炭を使った蒸気機関が生まれた時、ガソリンエンジンを利用した自動車が生まれた時、ラジオが、映画が、テレビが、それぞれ生まれたときに「今まであった仕事を奪い」「新たな仕事が生まれたわけではないですか!」と。

 

そこをちゃんと教えてくれるわけですよ。

 

だから、あまり悲観的にならないでね、と。でも、この流れで消えてしまう仕事は出てきてしまうのだから、と。でも、どんなにつらい時期があったって、また、新たな光が当たることがあるのだから、悲観しないでね、と。
きっちりと歴史と実例を上げて説明してくれるのが、好感触です。

 

ただ、必ずやってくるんですよ、って。デジタルエコノミーが道を間違えた世界が。その世界は、今までのルールが通用しないような世界なんですよ、と。

 

その難しさが、本書の前半部分にこのように述べられているんだなぁ。

 

成功している企業は自社の成功に欠かせない情報を収集し、加工し、行動の材料にする方法を進化させており、その方法は簡単にまねできない。企業の文化が生み出した価値は、都市住民のネットワークや国の経済制度が生み出した価値と全く同じように、個人のものというより社会のものである。文化とは大勢の人々が共通うして持っている考え方や習慣の集合体であり、大勢の人々が共有して初めてその性格が出てくる。一人のトップが出す指示を文化とは言わない。日々の業務にどう取り組むかについての社員全員の理解が文化を形作っているのだ。
(中略)
価値を生み出す文化の中で給与の高い役職を目指してライバルを蹴落とすために頑張って働くのと、価値を生み出すために頑張って働くのは同じではない。デジタル時代の重要な争いの一つは、社会的な富の分配方法をめぐるものになるだろう。

 

デジタルエコノミーは「今まであった古い仕事」がなくなって、「今までなかった新しい仕事」が生まれるわけではないところに、問題があるんだよなぁ。

 

デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか

デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか