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新宿・渋谷・原宿 盛り場の歴史散歩地図

著者:赤岩州五
発行元:草思社

 

 


まとめ

この本はすごい。日本最大、世界屈指の繁華街である新宿・渋谷の歴史を教えてくれる。そしてその歴史は明治から始まっている。それより昔は、武蔵野のハズレだったしね。バスタ新宿や、ヒカリエを「へえぇ~」と言いながら眺めているだけだと、人生半分くらい損してますよ。そんなことを教えてくれる1冊。他の街でも、出ないかなぁ。。

 

この本を読んだ目的

ちょっとしたブラタモリ的な、クイズ王のネタ的な話で読んでみたのですが、ドハマリしちゃいましたよ。

 

目次

1章 新宿 戦前篇 ぬかるみの町が盛り場に
2章 渋谷・原宿 戦前篇 子どもたちが遊び、ハチ公が行き来した道
3章 新宿 戦後篇 焼け跡のマーケットからスタート
4章 渋谷・原宿 戦後篇 東京オリンピックの前と後

 

感想

この本すごい! 新宿の町を、渋谷の町を、教えてくれる。わたしの知っていた知識なんて、ほんの一部だったのね、ということがわかるわ。

新宿の中心地は甲州街道最初の宿場町であった内藤新宿だったのよね。明治に鉄道が惹かれた時、栄えている内藤新宿さけ、角筈村のハズレに駅ができたのだ。角筈村、今で言うところの歌舞伎町だ。

そして、今も残る甲州街道と青梅街道の分岐点、Y字の交差点は内藤新宿追分と言われる、当時の新宿の中心地だったのだ。新宿3丁目の交差点周辺が、まさにそこなんだよな。そして、そこから新宿駅ににかけて三越や、伊勢丹、二幸食品デパート、高野フルーツパーラー、紀伊國屋書店ができたと。ちなみに伊勢丹創業の地は新宿三丁目ではなく、外神田だったとな。西に広がる新興住宅地のターミナルになりつある新宿を新たな拠点に選んだと。

で、もっとびっくりなのは現在の大塚家具のショールームあたりに新歌舞伎座が1929年にオープンしたのだと。新宿3丁目のあの周辺、新宿駅側が一番の繁華街だったのな。

で、新宿といえば二丁目のゲイタウンだけれど、あの周辺、昔は遊郭だったのだと。で、戦後は赤線地帯として生き残ったけれど、売春禁止法により時代が変わったと。男性の客を誘う娼婦が売春禁止法によりまちなかから消えてしまったのだけれど、なぜか男性の客を誘う男娼は路上から消えなかった。それ故のゲイタウンになったと。

あと、新宿四丁目あたり、新宿高校明治通りの間って、都内屈指のドヤ街だったのだと。知らなかった。木賃宿がたくさんあったんだとな。だから、未だにお寺の周辺になんけんか、旅館があるのな。

で、新宿の中心地が、今のように新宿駅周辺に移ってきたのは、戦後のお話。戦後の焼け跡に、闇市ができたと。新宿駅東口から三越手前までを尾津組が仕切っていたんだとな。で、西口の線路沿いは安田組、南口周辺は和田組が、闇市を仕切っていたんだとな。

そして、今の歌舞伎町、角筈町も焼け出されてしまったのだけれど、この町を再興仕様としたのが歌舞伎町を作った男と言われる角筈町一丁目北の町会長、鈴木喜兵衛。歌舞伎座を誘致し、町を再興させようとしたので歌舞伎町という名前に変えたのだ。

そんな新生歌舞伎町で博覧会が開催されていたりもしたけれど、徐々にみなの知る歌舞伎町になり始めた。

西口から移動してきた台湾華僑が街を作り始め、さらに韓国系の住人も歌舞伎町に流れ込んできた。当初は借地だったために中華街的な空気を作っていたが、借地権更新を迎えた20年後(1960年代)から土地購入に、人々が切り替え始めた。このへんから歌舞伎町は風俗街に変わっていったんだとな。で、歌舞伎町には小金井組というヤクザが存在していたんだけれど、その小金井組を継いだのが平松兼三郎、のちに二率会を率いていたけれど、小金井組から「我々は博徒だ」ということを誇りにしていたので、土地にあまりこだわりを見せずに、今のような様々な勢力が入り乱れる町になるきっかけを作ったんだと。

もう、この本面白すぎるわ。

 

新宿・渋谷・原宿 盛り場の歴史散歩地図

新宿・渋谷・原宿 盛り場の歴史散歩地図