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マンガ「グラゼニ」が大好きな、ウェブ系の何でも屋さんが綴る、仕事とか、読んだ本のこととか、日常とか、世の中に関する忘備録。

ニンテンドー・イン・アメリカ 世界を制した脅威の想像力

著者:ジェフ・ライアン
訳者:林田陽子
発行元:早川書房

 

目次

序章 マリオのインサイド・ストーリー
Part1
第1章 マリオの産声 ニンテンドー・オブ・アメリカの誕生
第2章 マリオの創造主 宮本茂と「ドンキーコング
第3章 マリオの喧嘩 対ユニバーサル訴訟
第4章 マリオの旅立ち 1983年のビデオゲーム大恐慌
Part2
第5章 マリオの島 日本とファミコン
第6章 マリオの陽光 「スーパーマリオブラザーズ」とNES
第7章 マリオの爆弾 「ザ・ロスト・レベルズ」
第8章 マリオのスマッシュヒット 「スーパーマリオブラザーズ3」
第9章 マリオの兄弟 NESゲームボーイ
第10章 マリオのライバル セガを救ったハリネズミ
Part3
第11章 マリオの対決 ソニックVS.マリオ
第12章 マリオの銀河 スピンオフの嵐
第13章 マリオのクレヨン 「マリオペイント
第15章 マリオのアドバンス ソニーとの短い蜜月
第15章 マリオのカート(リッジ) バーチャルボーイと3Dの夜明け
Part4
第16章 マリオの世界 NINTENDO64
第17章 マリオの通信キット 64DD
第18章 マリオの大乱闘 ゲームキューブ
第19章 マリオのタイムマシン ゲームボーイアドバンス
第20章 マリオのサーガ 光と影
Part5
第21章 マリオの革命 ニンテンドーDS
第22章 マリオのプリンセス Wii
第23章 マリオのパーティ 3DS、あるいは任天堂の歴史における3日間
第24章 マリオの伝説 任天堂の未来

 

感想

アメリカ視点で書かれたファミコンの凄さ。いや、ニンテンドーの凄さ。ドンキーコング誕生から、ニンテンドーWiiの登場までを綴った本なのですが、その内容はニンテンドーの歴史や、ゲーム業界の隆盛だけでなく「コンテンツとはかくあるべし」というところにまで及んでいます。トヨタや、NTT、三菱銀行を超えるほどのバリューを有していたニンテンドーだけど、この会社はおもちゃ会社なんだよね、やっぱ。メーカーでも、金融でも、サービスでもない。そして、おもちゃとはコンテンツ産業なんだということが、よくわかる本ですね。

 

そんな任天堂を代表するコンテンツキャラクターと言えば、マリオなわけですが、スーパーマリオの売上本数がとんでもないということが、冒頭でサラッと書かれております。

 

スーパーマリオのゲームソフトは、全世界で2億4,000万本販売された。最初の「スーパーマリオブラザーズ」1作だけでも、4000万本以上売れた。この数字には別のプラットフォームに移植されたバージョンや、エミュレータを使った海賊版は含まれていない。

 

本が書かれたのは、けっこう昔なので(日本語版のはアツバイが2011年なので、英語の初版はもっと前なんだろうなぁ。。。)、その数はもっともっと増えていることでしょう。

 

そして、任天堂にはマリオ以外も有望というか、有名なキャラクターがたくさんいるのが凄いんだよな。ポケモンゼルダだけでも、すげーもんな。ここに、カービィとか、どうぶつの森とかまで入れちゃうと、それこそ収集がつかなくなるw

 

任天堂の中でも数多く、それこそゲーム業界の中ではもっともっと数多くのキャラクターがいる中で、マリオというのはものすごく風変わりな立ち位置なのだという。このポジショニングを考え出した宮本茂さんも凄いし、そんな宮本さんを育て上げた横井軍平さんもすごいなぁ、と。

 

で、マリオの何が凄いのかというと、こういう点だとな。言われて納得ですよ。

 

マリオがユニークなのは、たいして魅力的に見えないという点だ。(中略)他の人気シリーズでは、湧き上がるアドレナリンや迫力満点の戦争、奥深いファンタジーの世界、プロスポーツなどを体験できる。ところがマリオゲームでは、プレイヤーは小太りの中年男になって、亀の甲羅を踏んづける。えっ?スーパーヒーローは出てこないの?コマンドーも?魔法使いも?ゲームの世界ではなんでも願いが叶うのに、そんなことで満足できるの? 

 

小太りの中年のおっさんなわけですよ。小太りの中年のおっさんが亀を投げるだけw まだ、島耕作のほうが素敵な中年ですよ。小太りでもないしw そして、オーバーオールを着た小太りのおっさんと敵対する敵キャラたち。

 

こういう勧善懲悪な世界なのが、日本のゲームの特徴だと、教えてもらってびっくりしましたわ。

 

日本のゲームの特徴は、ジャーナリストのクリス・コーラが指摘しているように、キャラクターの個性にある。わかりやすい善玉と悪玉が登場するのだ。アタリの「ブレイクアウト」や「テンペスト」のよう抽象芸術を現実化するゲームとは違う。 

 

身近なキャラクターを自由に動かし、いろんなことに挑戦させる。ゴールは決まっているけれど、ゴールへの到達の仕方によって獲得できるスコアが変わる。やり込めばやり込むほど、ゲームの世界に没入していく。それが任天堂のゲーム、マリオの世界なんだとな。

 

ちなみに、マリオの生みの親である宮本茂さんの、こんな有名なセリフがあったりする。

 

「『発売が遅れたゲーム』という評価は、一旦発売されてしまえばチャラになります。けれども『つまらないゲーム』はいつまでたってもつまらないままです」という彼の発言は、今もなおゲーム開発を語る際に引き合いに出される。

 

そして、宮本さんが定義するゲームの世界も、この本には書かれていた。

 

ゲームは芸術家否かという議論がある。著名な映画評論家、ロジャー・イーバードによれば答えはノーだ。ゲームクリエイターが伝えたいメッセージより、プレイヤーが自由に遊べることのほうが大事だというのだ(宮本はこの主張に同意している。ゲームは楽しむもの、挑戦するものであって、芸術としての地位はまったく求めないと彼は言う)。

 

ゲームは楽しくて、挑戦するもの。だから、楽しくなければ、ゲームではない。そのポリシーを貫く姿勢は素敵です。

 

そして、マリオの世界観を支えるゲーム機(ハード)に関する考え方も素敵です。これは、山内さんの考え方なんですけれどね。

 

任天堂は不良品を作ったことは一度もなく、今後も作るつもりはなかった。1982年、ジョンソン・エンド・ジョンソン社がタイレノールに毒物が混入された際、迅速なリコールを行った例にならい、山内は、問題のない製品も含めて、市場に出回っているすべてのファミコンのリコールを命じる。返送されたファミコンは無料で修理した。任天堂は不良チップだけではなくマザーボード全体をはぎ取り、システム全部を交換した。製造済み、販売済みのファミコンを作り直すだけの資金は十分ある。問題は、リコールが完了した後、客が再びファミコンを買ってくれるかどうかだった。中途半端なリコールはブランドを永久に傷つける。しかし徹底すれば災い転じて福となることもある。

 

よく言われる、任天堂神対応は、ここから始まったんだとな。

 

任天堂。ゲーム機メーカーであり、ゲームソフト開発企業でもある。そして、昔ながらのおもちゃを製造する、おもちゃ屋さんでもある。その根底に流れているのは「手にとってくれた人が、楽しめるか?」。楽しくなければ、ゲームじゃないし、おもちゃじゃない。生活必需品じゃないので、次に買ってくれる保証はない。次に買ってもらうには、顧客が楽しまなければダメなんだ、と。

 

顧客が楽しいってどういうことか?

 

独りよがりの性能・スペック主義によらないこと。

 

そして、顧客をちゃんと考えること。

 

アーケード版のドンキーコングは、それまで主流であったシューティングゲームと違い、早く画面をクリアすればするほどスコアがアップする仕組みだった。25セントコインを短時間で大量に使ってくれるような仕組みだった。Wiiは家庭用ゲーム機の的であった「お母さん」をゲームの味方にするような仕組みが、幾重にも仕掛けられていた。

 

顧客ってコントローラー握ってゲームする人だけじゃないんだよぁ、って。

 

コンテンツを作る際に、目を向けなければいけあい対象は誰なのか?どこまでなのか?それを教えてくれる素敵な本ですな。

 

そして、本書を読んでいたら、この本を読みたく成りましたな。

 

ゲーム・オーバー―任天堂帝国を築いた男たち

ゲーム・オーバー―任天堂帝国を築いた男たち

 

 

 

いや~名著ですよ。

この「ニンテンドーイン・アメリカ 世界を制した脅威の想像力」。

 

 

ニンテンドー・イン・アメリカ: 世界を制した驚異の創造力

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