WEB銭の読書メモなど

マンガ「グラゼニ」が大好きな、ウェブ系の何でも屋さんが綴る、仕事とか、読んだ本のこととか、日常とか、世の中に関する忘備録。

戦争と万博

著者:椹木野衣
発売元:美術出版

目次

第1章 「爆心地」の建築―浅田孝と“環境”の起源
第2章 一九七〇年、大阪・千里丘陵
第3章 「実験(エキスペリメンタル)」から「環境(エンバイラメント)」へ―万博芸術の時代
第4章 ネオ・ダダとメタボリズム―暗さと明るさの反転
第5章 戦争・万博・ハルマゲドン
第6章 そこにはいつも「石」があった
第7章 ダダカンと“目玉の男”
第8章 万博と戦争

 

感想

 

戦争とオリンピック・・・だと思って読んでみたら、間違っていましたね。万博でしたね。でも、万博にも、オリンピックにも共通点があるわけですよ。国威高揚。国民の団結力を図ることと、海外に向かって国の力を見せつけるってことが目的。

 

そのコンセプトで開催される・・・予定だったのが皇紀2600年に開催予定だった東京オリンピック

 

1940年開催のオリンピックですわね。まぁ、このオリンピック自体が戦争の影響で開催が無期限延期となってしまったわけですが。が、この幻の東京オリンピック以外にも、国威高揚のためにオリンピックは開催されたわけですよ。ベルリン・オリンピックとか、モスクワオリンピックとか、ソウル・オリンピックも、北京オリンピックも、開催された東京オリンピックも、そうなのですよ。

 

で、多分ですが、昔々においては、万国博覧会も、オリンピックも正しい目的で、別々の方向に向かっていたはずなんですよ。それが、同一の目的になってしまったと、と。

 

では、いつ同一の目的となってしまったのが?それが、紀元2600年昭和15年、西暦1940年に開催予定だった東京オリンピックと、日本大博覧会からだ、と。極東の島国で、100年前(1940年からね)は完璧に江戸時代で、先進国でも何でもなかった日本が、欧米列強に追い越せ追いつけで、追いついた、並んだ。それを世界にアピールするために行なうはずだったのが東京オリンピック日本万国博覧会だった、と。

 

それは147ページに記載されている。

 

そんなこともあってか、敗戦後、紀元二六〇〇年博が計画された当時、商工省博覧会管理課課長であった豊田雅孝参議院議員が一九六四年、自民党政務調査会の貿易対策特別委員会で万国博の日本開催を再度、提案する。この間の経緯について、『日本万国博覧会公式記録』は(昭和)「四十五年(一九七〇年)、我が国にとって開国約一〇〇年にあたり、国際社会に仲間入りして、一世紀の努力を振返り、さらに積極的に人類文化の発展に寄与する目的で、未来を展望するにが適当な時期であった」と記している。
つまり大阪万博は、日本国にとって二重の意味で象徴的異議を持っていた。ひとつは、それが明治維新によって近代化を果たして以来、百年の計を総括する意味を持つということ(=近代化は成功であった、と明示すること)。第二に、紀元二六〇〇年博の開催に挫折した万国博を「復興」することによって、「敗戦」の事実を帳消しにするということ(戦前の大国主義の栄光は回復された、と明言すること)、以上の二点である。万博開催の最初のきっかけが、紀元二六〇〇年博の旧スタッフによって俎上に載せられ、戦時中には「軍需省」であった通産省によって推進されたことは、大阪万博の「進歩と調和」の陰に、十五年戦争で中断された定刻の維新回復の陰が見え隠れしていることを、如実に物語っている。

 

 

この箇所を読んでいて、思いついたのは高度経済成長期の日本ではなく、中国でしたね。開放改革路線によって、鉄のカーテンの向こう側から、こちら側に移動してきた中国。その中国が国際社会の仲間入りをするために行ったのが、北京オリンピックと上海万博。万博もオリンピックも国威高揚のために行うものだけれど、その二つを抱き合わせて、相乗効果を生み最初に生み出そうとしたのは、中国ではなくて、日本だった、と。

 

2020年の東京オリンピックではメインスタジアムのデザインが話題になっているけれど、大阪万博の時もデザインが話題になっていました。この本によると、戦後日本における現代芸術の最高到達点だったらしい。そして、大阪万博のデザインと言ってすぐに出てくるのは岡本太郎と、丹下健三。21世紀にあっては太陽の塔岡本太郎のほうが一般的にはメジャーですが、当時は代々木体育館をデザインした丹下健三のほうがメジャーだったのです。

 

何しろ丹下健三は、代々木体育館をデザインした以外に、東京カテドラル聖マリア大聖堂や、広島平和記念公園までもデザインしているわけです。もっといえば、戦前、「大東亜建設記念営造物コンペ」に参加し、「大東亜道路を主軸としたる記念営造計画-主として大東亜建設忠霊神域計画-」で一気に名前を上げたのが丹下健三だったのですから。

21世紀から戦前と言ったらはるか昔ですが、1960年代における戦前といったら、つい最近。そんな丹下健三がデザインした大阪万博の建物が大屋根なわけです。大阪万博日本万国博覧会のシンボルゾーンに存在する建物を丹下健三がデザインするのだから、話題にならないわけがない。まぁ、そんな大屋根を突き破る太陽の塔を作り上げたのは岡本太郎ですけれど。


戦前から戦後にかけて日本建築会のトップに君臨した丹下健三。その丹下健三の根本にあるものを表現したのが「大東亜コンペ(大東亜建設記念造営計画)」なんですと。このコンペで1位を獲得した丹下の「大東亜建設忠霊神域計画」に流れる「東京都富士を道路と鉄道でつなぎ、間に大東亜共栄圏の政治の中枢、つまり”首都”を起き、さらに大東亜共栄圏建設に殉じた忠霊を祀る神域を建設する」という考え方が、大屋根だけでなく、万博全体に突き通されているのだとな。

 

だから、それを感じ取った岡本太郎が、太陽の塔で、その屋根を破った、と。

 

日本の近現代史を語る場合、どんな方向から語るとしても、ネックになるのが戦争である。戦争の前と後では歴史が完全に分断されてしまっている。そのほうが諸々都合が良い人が多かったから、そうやって歴史が語られるのでしょう。

 

しかし、実際はそうではない。歴史はつながっている。間にどんな出来事が起きようともつながっている。そんなことを教えてくれる1冊ですね。

 

さて、2020年の東京オリンピックは、何が裏テーマとなるのでしょうか?

 

 

戦争と万博

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