著者:平野暁臣
発行元:青春出版社
目次
“生命の樹”は太陽の塔の“血流”です―テーマ館サブプロデューサー・千葉一彦(太陽に選ばれた誇りと自負心;映画界から太陽の塔へ ほか)
「残すつもりでやれ」と言われました―太陽の塔 建築設計担当・奈良利男、植田昌吾(20代の“小僧”が設計を担当;太陽の塔を幾何学的な図形の集積に ほか)
あの万博で自分を出したのは太陽さんだけでした―テーマ館地下展示ディレクター・伊藤隆道(ショーウインドウからテーマ館の地下展示へ;シンプルな制作プロセス ほか)
いまなら、できないと断ります―太陽の塔 構造設計担当・大山宏、太陽の塔 施工担当・嵩英雄(たったひとり、しかも学生;「自分がやらなきゃ、だれがやる」 ほか)
「好きなようにやってくれ、予算のことはいいから」―大阪万博初代事務総長・新井真一(はじめに哲学があった;「思い切りやれ」 ほか)
感想
大阪万博のシンボル、太陽の塔の建設に関わった方々へのインタビューを集めた本。
「記録映画 日本万国博」_大阪万博1970年 Documentary Film "Japan World Exposition, Osaka 1970"
テーマ館サブプロデューサー千葉一彦
太陽の塔建築設計担当奈良利男・上田昌吾
テーマ館地価展示ディレクター伊藤道隆
太陽の塔構造設計担当大山宏
太陽の塔施行担当嵩英雄
大阪万博初代事務総長新井真一
ちなみに著者のお父さんも、太陽の塔に関わっていたそうな。
で、衝撃の事実。
大阪万博が開催された頃、そのコアメンバーで最年長に近かったのは五十代の岡本太郎だったそうな。
丹下健三も、コシノジュンコも、小松左京も、三十代前半。石岡瑛子なんて、二十代。
なんて、そんな国家的プロジェクトに若者がワンサカ、参加したのか?
彼らより上の世代は、戦争で死んでしまったのだよ、と。戦争で焼け野原となり、戦争で優秀な上の世代が亡くなってしまったので、若者が頑張ったと。
太陽の塔には、そんな若者のエネルギーがこめられていたのね、と。